赤胴鈴之助(5)

 

 朝日ジャーナル編『小さい巨像』(朝日新聞社、1974年)という本がある。戦後のヒーロー・ヒロインたちをテーマにした四十五本の記事が収められている。昭和四十八年に同誌に連載された。その中で、梶井純という漫画評論家が「赤胴鈴之助」のことを論じていて、次のような貴重なデータを紹介している。

 

 当時の子どもたちに「赤胴鈴之助」がどれだけ知られ、どれだけ読まれていたかについて、私の手元に一つの資料がある。三二年の半ばに法政大学二部心理学研究会によって行われた調査結果である。

 それによると、男子の場合、小学四年八六%、五年九八%、六年九八%、中学一年一〇〇%、二年九八%の割合で「赤胴鈴之助」を「知っている」のであり、女子にしても小五・小六・中一の平均八五%が「知っている」のである。(以下略)

 さらに「赤胴鈴之助」がどれだけ読まれていたかについては、「最近読んだマンガのなかでおもしろかったものを三つ」書かせた結果、男子の場合は「赤胴鈴之助」がいずれの学年もトップで、きわだった数字がでている。カッコ内は次位の作品のパーセンテージである。

 小学四年一九(四)%、五年三一(四)%、六年五六(六)%、中学一年四八(一四)%、二年三四(一〇)%。

 

 昭和三十二年当時、小学四年生だった私には、納得のいく数字である。このころの人気漫画と言えば、「赤胴鈴之助」のほかには、「イナズマ君」「ビリーパック」「鉄腕アトム」「鉄人28号」「イガグリくん」(福井英一なきあと、何代目かで有川旭一が描き継いでいた)あたりだ。これらと比較するとき、三十一、二年のころの「赤胴鈴之助」の面白さは群を抜いていたと思う。やがて「鈴之助」を追い落とすことになる堀江卓の「天馬天平」や「矢車剣之助」、桑田次郎の「まぼろし探偵」が登場するのはこの年のなかばであって、ブレークするのは三十三、四年以降なのだ。

 「赤胴鈴之助」の人気がラジオによって高まったことは否定できないとしても、なぜラジオドラマに取り上げられたかと言えば、やはり漫画が子どもたちに圧倒的な人気があったからである。然るに、すでに高校二年になっていた梶井は、鈴之助の漫画は読んではいたものの、「この時期のマンガ全般からみて、冷酷にいえば、『赤胴鈴之助』は知名度のみが肥大した、私にとってはしょせん二流の作品であった」と酷評するのだ。「遅れてきたキャラクター」とも言う。

 なぜ「二流の遅れてきたキャラクター」なのか、説明が難解でわかりにくいのだが、私なりに要約すると、時代はすでに「〈復興〉と〈再建〉」を目指した戦後期を脱しているのに、作者は旧態依然たる「正義や友情や愛」を鈴之助に託していて、アクチュアリティ(現実味)を失っている、ということらしい。その反対例として、梶井は「天馬天平」を挙げ、その「アナーキーなまでに破壊的なストーリー展開」は「〈復興〉と〈再建〉の時代とは本質的に無縁な志向に裏付けられている」と指摘する。

 これでは何の説明にもなっていない。仮に鈴之助が「時代遅れの漫画」だとして、それならなぜ「時代遅れの漫画」が圧倒的な人気を博していたのかを分析してこそ、評論たり得るはずである。確かに、鈴之助の人気は徐々に下降線をたどり、代わって天馬天平や矢車剣之助やまぼろし探偵の人気が高まっていった。梶井の手法は、そうした事実を知っている後世からの「後講釈」にすぎない。

 

 私は、赤胴鈴之助が「時代遅れの漫画」だったとは思わないし、人気を失っていった原因が「時代に取り残された」からだとも思わない。単に「マンネリ化して面白くなくなった」からだ。ただ、時代背景がまったく関係ないかと問われれば、それはあるに決まっている。昭和四十年代に「赤胴鈴之助」を連載しても、あれほどの人気は博さなかっただろう。テレビというメディアが子どもたちの世界を一変させたのだから、読者の感性が変わるのは当然だ。

 いま、鈴之助のどこが面白かったのかを振り返ると、別に「正義や友情や愛」に感激して読んでいたわけではない。むしろ、鈴之助と母とのやり取りなどは、子ども心に「嘘っぽい」とさえ感じていた。悪人を殺さない点も、評価の基準では全然なかった。私が何よりひかれたのは、武内つなよしの絵のうまさと、同時にキャラクターの親しみやすさだったと思う。単純に絵のうまさで比較すれば、手塚治虫のほうが上だろうが、私にとってはスマートすぎて、自分とは無関係な遠い世界の話だった。その点、武内の絵は登場人物がどこか懐かしさを感じさせ、それでいてやはり絵がうまいのだ。のちの例では、ちばてつやの絵に同じような印象を持った。ただ、悪役がいつも覆面だったり仮面だったりするのは、正体がわかるまでの面白さはあったものの、「もっと違う方法も考えればいいのに」と小学生の頭なりに思った。それと、女性の描き方は下手だと感じていた。

 永倉万治『昭和30年代通信』(ちくま文庫、原著は1986年刊)の中で、永倉が「赤胴鈴之助」について書いている次のようなくだりは、いささか誇張されてはいるが、感覚的によく理解できる。彼は私と同い年の埼玉生まれである。

 

 「イガグリくん」「まぼろし探偵」「矢車剣之助」それぞれ面白かったが、ヒット作ということならば断然「赤胴鈴之助」である。

 千葉周作道場で北辰一刀流を修業した少年剣士が、敵にやられそうになりながらも、最後は得意の「真空斬り」でやっつけちゃう。手に汗握る連続活劇でした。

 イジの悪い兄弟子の竜巻雷之進との対決が見ものだった。なんたって雷之進の得意ワザはイナズマ斬り。斬ったあとがイナズマ形になるという不思議さで、それに立ち向かう鈴之助はもっと不思議な「オリャー、ターッ!」の真空斬り。

 この対決は栃錦―若乃花戦同様に気をもんだ。

 当時は汚れがなかったものだから「これはマンガだ」と頭ではわかっていても、どこかで奇跡を信じていた。

 ある日人気のない原っぱに立ち、誰もいないのを確かめてこん身の気迫をこめて、僕は「オリャー、タァーッ!」とやった。

 もしかして…薄目をあけて見る原っぱは、いつもの原っぱだった。

 (中略)

 あの頃流行した『お富さん』の歌詞「♪イキナクロベーミコシノマーツニ…」もまったく意味不明で驚いたけれど「♪剣をとっては日本一の…」の主題歌中の「ちょこざいな小僧め…」の“ちょこざい”という言葉も、戦後民主主義教育の国語力のラチ外にあって新鮮だった。

 

 一方、漫画評論家(というよりサブカルチャー評論家というべきか)の小野耕世は、『60年代のカタログ』(主婦と生活社、1975年)の中の「まんが人別帳」という項で、赤胴鈴之助をこう腐している。

 

 いくらロボットが出てこようと、宇宙人もどきが暴れようと、破壊トラクターが幕末の江戸を走り回ろうとも、赤胴鈴之助の世界は、やぼったく、親子の情愛、師弟愛が軸になっていて、基本的には、戦前の少年講談の世界なのだった。

 うわあ、なんてあかぬけない、古くさい泥くさい、気持ちの悪いまんがなんだろうと思っていたから、私は、この大人気まんがにはあまり近よらなかった。でもきっと、これらの私がいちばん嫌っていた部分のおかげで、このまんがは、圧倒的な人気を得ていたのにちがいない。

 だいいち、「ちょこざいな小僧め、名を名乗れ!」「赤胴鈴之助だ!」というやりとりが、まず、おかしいではないか。「ちょこざいな!」などということばは、いまどき、時代小説にも出てこない。きっと、『赤胴鈴之助』の世界は、「ちょこざいな」という、いかにもむかしの時代劇のセリフが、そのまま通用していた、ほとんど最後のまんがだったのだろう。

 

 小野のプロフィールには「東京生まれの東京育ち」と書いてあり、年齢は私より七つか八つ上のようだから、先の梶井と同じように、地域的・世代的に赤胴鈴之助の世界に共感する素地がなかったのだろう。「人別帳」の書き方からみて、彼はたぶん手塚治虫のファンだと思われる。しかし、自分の好き嫌いで書くだけでは、評論とは呼べない。鈴之助を嫌った者と好んだ者とではどこがどう違うのか、それは世代の違いなのか、都会っ子と田舎っぺとの違いなのか、にこそメスを入れるべきだった。

 お節介ながら、「ちょこざいな」はラジオ番組の主題歌の科白であって、漫画批判からは脱線している。「破壊トラクターが幕末の江戸を走り回る」シーンもない。舗装工事に使うロードローラーのような武装重機が登場するが、場所はロボット製造基地のある長崎付近の無人島である。荒唐無稽さでは同類だとしても、間違った情報を垂れ流すのは不本意であるから、訂正しておく。

 小野とは対照的に、昭和四年生まれの漫画評論家・石子順造は、『戦後マンガ史ノート』(紀伊国屋新書、1975年)で、さすがに冷静に鈴之助人気を批評している。

 

 そのような(子どもに圧倒的に人気のある)「赤胴鈴之助」にかんして、おとなの側からは賛否両論があった。ほめるものは、「正義」と「友情」と「親思い」をいい、否定する側は、まさにそのような人格の「古さ」を指摘した。しかしおそらく、当の子どもたちにしてみれば、おとなたちのそういった人格的判断や教育的配慮などとは一切無縁なレベルで、主人公のさっそうとしたアクションに共感し、おもしろい遊びの一部として、マンガ「赤胴鈴之助」を受容していたのではないだろうか。子どもマンガは、子どものおもしろさを先取りできると思い上がったおとなの手を、つねにすりぬける形で時代を反映するようだ。

 

 それにしても、梶井が「時代遅れの漫画」と言い、小野が「戦前の講談の世界」と言って切り捨てた「古さ」は、それほど非難されるべきことだったのだろうか。「勧善懲悪」は唾棄すべき封建社会の残滓だったのだろうか。すべての社会規範がグジュグジュになった今、私たちの前には、理解不能な殺人を平気で犯し、しかも罪悪感をほとんど持たない子どもが続々と現れている。

 やっていいことと悪いことの区別は、家庭や学校や社会が(国家が、ではない)子どもにきちんと教え込まなければならない基本的な躾だ。それはどんな時代であろうと変わらない。「鈴之助」の古さを笑うだけでは、新しい社会規範は生まれないし、現に生まれなかったのである。