ソローリャ美術館――マドリッドにて (2008.09.15) 内村みな子

 

 アパートを出たのはもう昼をまわっていた。近くの立ち食いのバルで、ハムサンドにスペインオムレツ、絞りたてのオレンジジュースをしたためる。片言のスペイン語を話す東洋人の娘とその母親に、おやじさんがあつあつのイカフライをサービスしてくれる。

 ソローリャ美術館はそこから地下鉄で三つ、四つ行ったところにあった。バカンスシーズンで日曜日だからか、人通りも車の往来さえもほとんどない静かな住宅街だ。住宅街といっても、アパートかマンションといった、五、六階建ての古い石造りの建物が大きめの通りを挟んで続く。その建物群の谷間にいっそうひっそりと、クリーム色の瀟洒な邸が深い緑に包まれていた。

 石塀の内側は手入れの行き届いた庭園になっていた。時代を感じさせる青いタイル張りの矩形の池を囲んで、大きく枝を広げた木々が焼けつく陽射しを遮っている。人々もまたこの静寂の中で、時が止まってしまったかのような風景に溶け込んでいる。ホアキン・ソローリャという初めて聞く画家の生前の住居がそのまま、彼の作品のみの美術館として残されていた。

 十九世紀から二十世紀にかけて活躍したらしいが、それほど著名でないのは、ピカソやミロほど独自の画風を確立したというわけではなかったからなのか。けれども、プラドをはじめ、名だたる美術館で、宗教画、古典名画の数々、印象派や近、現代の絵画をこれでもかというほど見てきた眼にソローリャはその庭や館も含めて、限りなく優しかった。

 展示されている油彩画の多くは自身の家族を描いたものだった。美しい夫人、子どもたち。彼らは夫のあるいは父の愛情溢れる眼差しを受けて、ゆるやかに佇み、また、のびのびと遊び、戯れている。海浜の避暑地での作品は特にそうした感があり、透明な真夏の光の中、穏やかな喜びに充ちていた。

 一巡したころ、閉館の三時になった。なごり惜しい思いで美術館を後にする。表へ出てもやはり静かだ。舗道のベンチに腰掛け、娘と私それぞれにソローリャを、いや、私が滞在したここ十日余りの日々を反芻している、多分。庭から拾ってきた黄色い落ち葉を娘がくるくるくるくると指先で回している。

 こんな小さい思い出をひとつ胸にしまって、明日の晩、私は帰国する。