樋口さんを悼む2008.09.16

 

 朝日カルチャーセンター時代(2004年春から2005年秋まで)の受講生だった樋口千代子さんが13日、病気のため亡くなった。八十歳だった(と思う)。ここ3年間は腰の痛みで出歩くことが困難になり、現道場とは縁が切れていたけれど、かつての受講生仲間とは交流が続いていて、みんなの書いた作品を送ってもらうのを楽しみにしていた。門弟諸君と連れ立って7月に病院に見舞いに行ったときは、病人とは思えないほど元気で、「書きたいテーマがあるの」と話していた。「ぜひ書いて送ってください」と言ったまま、手伝いできずに終わったことが悔やまれる。

 葬儀は15日、太宰府市内の自宅でキリスト教に則って行われた。牧師の話では、樋口さんは若いころから教会には通いながら、キリスト教徒として生きることにはためらいがあったようで、洗礼を受けたのは亡くなる3日前だったという。「賛美歌に送られて家を出たい」という故人の願いに従って、参列者は「主よ、みもとに近づかん」という歌い出しの賛美歌320番「向上」を歌って、棺を送り出した。

 キリスト教徒になろうとなるまいと、樋口さんは己を律する心の篤い人だった。わずか1年半の、それも月2回の教室に限られた付き合いでしかなかったが、彼女の書く文章を通して、人柄やものの考え方がよく伝わってきた。受講生仲間に慕われたのも、そうした人柄のなせる業だったと思う。

 樋口さんの遺した22点の作品の中から、人柄の滲む2点を紹介して、在りし日を偲びたい。

 


   電車の中で考えたこと(2004.10.04

 

 まだ若かった頃のことである。教会の帰りに電車に乗った。電車の中はかなり空いていたので腰かけようかと思ったが、たった今、「人を愛しなさい。」というお話を聞いて来たばかりなのだから、そういうわけにもいくまいと、つり革につかまって立っていた。

 あとから人々が乗って来てあっという間に席はふさがってしまった。私より丈夫そうな男の人もかなりいたけれど、文句をいう条合のものでもない。空いていたから坐る、当然の事である。

 次の停留所で又人々が乗りこんで来た。その中には七十位のおばあさんもおられた。誰か席を譲る人はいないかと見ていたが、誰も知らぬ顔をしている。

 そこで私は、はっとした。はじめに私が坐っておけばよかったのだ。そしたら今、このおばあさんに坐ってもらうことができる。まず私が、譲ることのできる席を確保しているということが必要なのだ。

 そしてこの時私は覚った。私達が私有財産制度をとっているということの意味を。

 私達は自由にできる何がしかのお金を持っている。それは自分のためばかりに使うのではなく、ほかで、もっと必要としている事態がおこった時、いくらかでもお役に立てるようにと、さしだすためではないだろうか、と。

 


   くち癖(2005.02.21

 

 私は、「ありがとう」というのが口癖のようである。バスを降りる時にも、ありがとうという。別に意識しているわけではないのだが、つい口にでる。

 なぜかと考えてみるのに、これは幼い時(生後八カ月)で母を亡くした事と関係があるのではないかと思う。

 子供に対して無条件で愛を注ぐのが母親であろう。私にはそういう有難い母親がいなかったために、親や兄姉、そして近所のおばちゃん達が皆で私のことを何くれとなく世話をしてくれて、おかげで病気も怪我もせず成長することができた。これはやはり有難いことだったと思う。だから私はどんな些細なことでも、私によせられた好意に対しては、反射的にありがとうという癖がついたのだと思う。

 ところで、話は少し変るが、世の中にはグループにおける自分の地位を確認させるために殊更居丈高な物言いをする人がいるように思う。私は主人が三年おき位に転勤するものだから、私もそれに伴って転居し、その土地で新しいお茶の先生に御指導を受けた経験をもっている。

 先生を変るという事は、そこにいるお弟子さん達の仲間に私も入れてもらう事を意味する。あるところでKさんという先輩がいた。少しけんのある物言いをする人だなと思っていたが、ある時私が稽古を終って水屋で使った道具を洗っているとKさんが来ていきなり「茶碗は下の棚に置く!」と切口上でいった。水屋には小さい棚が上下二段あり、それぞれ物の置場がきまっているらしい。私はそれまでその事を知らなかったので、びっくりして言った。

 「あっ、有難う。知らなかった!教えてくれてありがとう。」

 考えてみると、どんな形であれ、教えてくれるということは、有難いことには違いない。教えてもらわなかったら、ずっと昏いままでいなければならない。

 又ある時は、水注ぎ薬缶の水を、使った分だけ補充しておかなければならないのに、してなかったので、「薬缶の水を補充してない!」といわれたこともある。まるであらさがしをしているのではないかと思うぐらい、きびしく言われるが、私はいつも「教えてくれてありがとう」という態度でのぞみ、それ以外では別に御機嫌を取るでもなく、さばさばした態度で終始していた。

 そうするうちに、いつのまにか私に対して居丈高な物言いはしなくなった。

 口ぐせでいう「ありがとう」のおかげかもしれない。